秋の夜長に、ブログを書いている理由を考えてみました。

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3連休に他人と交わした言葉は2言だけ

洗濯、掃除、布団干し、買い物、ご飯炊き、ゴミ出し(不要品の処分)・・・と家事に精を出した結構忙しい3日間でした。

出かけたのは、初日に近くの図書館に、2日目にスーパーへ食材の買い物にと、2回だけです。

この3日間で発した言葉は、図書館の受付嬢に「ありがとうございます」と、スーパーのレジのお兄さんに「袋はあります」の2言だけです。3日間でわずかに18音です。

まあ、独り暮らしの人って、みんな大体こんなものなんでしょう。

 

寂しい時は独り言を言いましょう。

私の場合、平日は会社で若い同僚たちと会話ができるので、まだ恵まれているほうでしょう。仕事を辞めた独り暮らしの高齢者は、話をしない日が何日間も続くのでしょうから。

話をしない日が長く続くと、鬱や認知症にもなりやすいそうです。また、声帯がだんだん痩せてきて(退化?)声を出しにくくなるようです。

そうならないためには、独り言を言うのが良いようなので、私は家の中ではブツブツと独り言を言ってます。

外から帰ってきた時も玄関ドアを開けて「ただいま」なんてひとりで言ってます。これは、無意識のうちに少しずつ増えてきているような気もします。

独り言は、ひょっとすると、人間の心身を守るための自衛本能なのかも知れません。

ポジティブな独り言は、不安や恐怖といった心理的なストレスをケアしたり、思考を整理したりする効果があるそうです。でも、これも度を過ぎると「統合失調症」などの精神疾患の兆候らしいので、今以上増えないように気をつけないといけません。特に誰かと会話をしているような独り言は黄色信号らしいです。

私が住んでる町にも、ブツブツと独り言を言いながらニヤニヤ笑って歩いている60代のオジさんを2人ほど見かけます。あそこまでいくと、確かに病気です。

 

ブログも独り言と同じ「バーチャル会話」?

ブログを書くことも「独り言」に似たようなものだと思います。読んでくれる人は非常に少ないし、全く何の得にもならないのに、こうして取り留めのないことを時々書いて投稿するのは私の「独り言」「呟き」のようなものです。

ブログも独り言と同じ一方通行で、会話にはなりませんが、投稿することでネットの向こうの見知らぬ誰かと会話をしているような気分になれます。

これは「バーチャル会話」です。

でも、たまには私の投稿に対してコメントをいただけることもあります。友人、知人の少ない私にとって、これはとても嬉しいことです。「あっ!誰か見知らぬ人と繋がってるんだ」と。

私は、元々あまり人間好きでもないし、話好きでもありませんが、やはりどこかで他人(ひと)と繋がっていたいという潜在的な欲望があるのだと思います。

 

本当に面白くもないし、何の役にも立たないし、アクセスも少ないし、得になることもありませんが、時間をかけてブログを書いて投稿するのは、まさに私の自衛本能としての「独り言」なのでしょう。

不安や寂しさを紛らす効果は確かにあるようです。

こんな拙文でも少しは頭の体操になっていると思うので、認知症の予防にもなっていることでしょう。

 

ブログをやっている人って 案外、ネット上で繋がりを持ちたい孤独な人が多いのかな? なんて思ったりしました。

人恋しい秋の夜長、ブログで「バーチャル会話」を楽しみましょう。

秋の夜長に「癖」の遍歴を振り返ってみました。

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今日、天気も良かったので3ヶ月ぶりに近くの市立図書館に行ってきました。また、本でも読もうかという心の余裕が出てきたようです。なかなか良い傾向。

借りたのは全く知らない短編小説集2冊。ちょっと図書館で冒頭部分を立ち読みしたら面白そうだったので、予備知識もなく何となく選びました。

浅田次郎の「獅子吼(ししく)」と、有栖川有栖の「怪しい店」の2冊です。

 

読書というのは癖になるもので、癖になると常にベッドの枕元に読みかけの小説がないと寂しくなるものです。これは、常に身近にアルコールがないと寂しくなる晩酌とよく似ています。(今は晩酌はしていませんが・・・)

 

私の人生を振り返ってみると、になったものがいくつかあります。

中学~高校生時代は、住まいが福岡市の平和台球場(福岡の人にしかわかりません)の近くだったので、父がもらってくる招待券で西鉄ライオンズ(昭和の福岡の人にしかわかりません)の試合をひとりで観戦に行くのが癖になってました。

スポーツ苦手少年だったのに、なぜか観るのだけは好きだったようです。

 

大学時代は、夜中にラジオを聴くのが癖になってました。

聴いていたのは、もちろん「オールナイトニッポン」や「ジェットストリーム」(昭和の人にしかわかりません)などです。

枕元に無理して買ったSONYのトランジスタラジオを置いて、4畳半の安アパートでひっそりと聴いていたものです。

団塊の世代の人には共感いただけると思います。

 

20代から30代の頃、まだ映画館でしか映画を見ることができない時代に、映画を見ることが癖になったことも。

ひとりで月に3~4回映画館に足を運びました。当時は今みたいにチケットも高くなかったし、ちょっと古い映画を2本立てで上映していた小さくて薄汚い映画館が商店街の中にたくさんありました。

 

バーやスナックに飲みに行くことが癖になったバカ中年時代もありました。

これは、あまり良い癖ではありませんが、日が暮れると自然に馴染みのバーやスナックに足が向くのです。井川遥のような美人のママさんがいたわけでもないのに、何が楽しくてせっせと飲み屋通いをしたのか今では思い出せませんが、確かにこれも癖になるものです。

 

そんな色々な癖がいつ、どのようにして熱が冷めていったのかは記憶にはありませんが、今ではひとつも癖として残っているものはありません。

子どもの頃からよく言われてきました。「お前は気が多い」とか「熱しやすく冷めやすい」と。

幸か不幸か、何でも長続きしない性分のようです。

このブログは、投稿数とPVは少ないものの、よく続いているなと自分で感心しています。

 

読書が癖になったのはまだ最近のことで、4〜5年ほど前からです。それまでは小説なんて全然興味なかったのですが、確か、何かのきっかけで藤沢周平の小説を読んだのが癖の始まりだったように記憶しています。

 

今夜から、ベッドに潜り込んで久々に読書の秋を堪能しましょう。

まずは、有栖川有栖の「怪しい店」からです。アリスガワアリス?、作家の名前も怪しいですね。

このミステリー作家の小説は初めてです。

秋の夜長に句読点付きの喪中ハガキをつくってみました。

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「秋の日はつるべ落し」と言われますが、会社を出る頃はまだうっすらと明るいのですが、自宅に帰り着く頃はもう真っ暗です。玄関ドアを開けると部屋の中も真っ暗で、し~んと静まり返っています。

3~4ヶ月前までは家に帰ると電気がついていて、「お帰りなさい」という声が聞こえ、夕食の匂いがしていたのですが、今は何も聞こえてきません。何も匂ってきません。

真っ暗な部屋に入る時、「ああ、一人になったんだ」という実感が湧いてきます。

冷たい秋風が身にしみる季節になってきました。

 

私にとっては初めての経験ですが、今年は喪中ハガキを出さないといけません。

私は、友人との交際もほとんどないし、親戚付き合いもないので、出すのは大方がおしゃべり好きの妻が生前付き合っていた方々です。

そこで、昨晩、喪中ハガキのデータをつくりました。出すのは11月下旬から12月初めがよいそうなので、ちょっと気が早いかとも思いましたが、秋の夜長、何もすることもなくて思い立ちました。

 

既製品の喪中ハガキは、ぼんやりとした菊や蓮、桔梗などの花の絵が多くて私の好みに合いません。そこで、彩度を落とした花の写真を使って、挨拶文も横書きにして下のようなオリジナルの喪中ハガキをデザインしてみました。

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迷ったのは挨拶文です。ネット上には喪中ハガキのテンプレートや文例がたくさんあるのですが、どれを見ても句読点がありません。

句読点のない文章ってちょっと違和感を感じます。

そこで、なぜ挨拶文には句読点がないのかを調べてみました。

その理由は、取るに足らない仕様もないことでした。文章に句読点を付けるようになったのは明治時代に入ってからで、子どもや、読み書きができない人にも読みやすくするためだったそうです。江戸時代までは句読点はなかったようです。

そんな訳で、挨拶状に句読点を付けるのは相手を子ども扱いにして失礼にあたるということらしいです。

でも、普通の手紙や文書には句読点を付けるのに、なぜ挨拶状と賞状にだけ句読点を付けないという大昔の慣例が残っているのでしょう。不思議です。

句読点の付いた挨拶状をもらって「無礼者め!」と怒る人はいないと思うのですが。

 

喪中ハガキに句読点を付けるかどうか迷いましたが、句読点は絶対ダメというわけでもないようなので、ひねくれ者の私は句読点を付けることにしました。

やはり句読点があったほうが読みやすいし、「、」と「。」がないと締まりがなく、何となく落ち着きません。

 

後は、インクジェット用のハガキを買ってきてプリントするだけです。

あなたはカラスじゃない。リクルートスーツなんかやめましょう!

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11日(金)、私の後任デザイナーを採用するための採用試験があり、私も面接官のひとりとして参加しました。

応募して来たのは現在専門学校在学中の20歳の女性2人と、37歳の男性1人のわずかに計3人です。以前に比べると、今は応募者が大幅に少なくなりました。

専門学校生の2人は、1年半ほどWebやグラフィックソフトなどの使い方も学んでいますので、持参した作品も予想以上のレベルでした。

 

 

今までにも何回かデザイナー募集の面接官をしてきましたが、応募して来る若者たちは決まって、喪服のような真っ黒な「リクルートスーツ」なるものを着ています。

華やかざかりの若い女の子たちが告別式に会葬に行く時とまるで同じ装いです。黒いスーツに黒い靴とバッグ、アクセサリーもなく、とてもかわいそうに感じます。

このリクルートスタイルって誰がいつ頃決め、学生たちもそれに倣ったのでしょう?

目立たず、逆らわず、他のみんなと同じ服装で溶け込むのが一番安心、採用されやすいという集団心理があるのでしょうか。

まあ、急な時の喪服としても使えるし、コーデも考えなくていいので、経済的で便利ではありますが。

 

外見からは全く個性が感じられません。男も女も没個性のカラスの群れです。

もっと、色もデザインも個性を生かした多様な服装でも良いのではと思うのですが。

特にデザイナーの募集ですから、ファッションセンスや好みの色も見たいし、採用の判断基準にもなるところですが、真っ黒くろすけの中からはそんなものは全く望めません。

もし、黒のリクルートスーツではない服装で面接にやって来た勇気ある若者がいたら、私はその応募者を採用の筆頭に推薦します。

 

男の場合はスーツだけではなく、若さを強調した紺色やグレーのジャケットでも良いし、ノーネクタイもありだと思います。女性の場合はもっと選択肢が多いのですから、過度に派手でなければワンピースやニットなど、個性をアピールできる装いがいくらでもできるのではないでしょうか。少しくらいカジュアルであっても良いと思います。

面接に来る彼らも真っ黒な喪服スタイルでは気分も落ち込みます。明るい色の服を着れば、気分も明るく開放的になって、もっと自由闊達な受け答えや発想ができるのではと思います。

面接官の印象にも残って、「あの黄色ワンピーの子は、若いのにしっかりしてたよ」「いや、グレーのジャケットの子も即戦力になると思うよ」というように、名前は憶えられてなくても服装で思い出してくれます。

 

これから就職活動をする若者に是非すすめたいのです。没個性のリクルートスーツは、もうやめましょう。

リクルートスーツを着ていないと採用しないという会社は少ないのではと思います。もし、そんな会社があったら、「そんなガチガチ頭の古くさい会社はや~めた」と、こちらからお断りしましょう。そんな会社は自由度が低く、発想が貧困で、独創性が弱い将来性のない会社です。

 

特に、デザイン系の仕事に就職を希望している方は、個性を生かした服装で面接に臨まれることをオジさんは声をにしておすすめします。

私は、外見からも自己アピールができるような勇気ある若者を後任にしたいと考えています。

面接する側も、きっと黒塗り一色よりも楽しいと思いますよ。

この虚無感は、ストレスのように発散・解消することはできません。

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どんなに気の合う相手でも、人間が二人で生活を共にすると、そこには必ずストレスが生まれます。

相手に遠慮したり、気を遣ったり、我慢したり、たまには意見の食い違いから口論になることもあります。

それは、血を分けた肉親でも、仲の良い友人や熱烈恋愛のカップルでも、当然 性格や考え方、生活志向が違うのですから仕方ありません。多かれ少なかれ必ず摩擦(ストレス)は生じます。

トイレに行きたくなった時に、同居人がたまたまトイレを使っていただけでもストレスになります。自分は空腹なのに、相手が「今は食べたくないから食事はもっと遅くしよう」と言われてもストレスです。

 

しかし、一人暮らしになるとそんなことが全くなくなります。遠慮も気遣いも我慢もなく、自分のしたい放題、やりたい放題です。いつトイレに行き、いつ食事をし、いつ風呂に入ろうと、文句を言うひとは誰もいません。何から何まで自分の好き勝手にできます。そこには自由がいっぱいです。

 

一人暮らしになると、少なくとも家の中でのストレスは大幅に減ります。

そんな自由気ままな一人暮らしができたらいいだろうな~と、妻がいた頃は度々思っていました。

独身生活に一種の憧れも持っていました。

 

ところが、実際にそうなってみると、全く緊張感もなく、毎日が何か虚しく満たされない気持ちなのです。そんなやりきれなさを、特に休日に強く感じます。

妻が入院中の一人暮らしも長かったのですが、電話をすれば話もできたし、病院に行けば顔を見ることもできました。でも、今はどちらも叶いません。

 

ストレスは大幅ダウンになりましたが、逆に虚無感は大幅アップになりました。

どちらがいいかと言うと、程々のストレスはあっても同居人がいるほうが良いのかなと思います。

ストレスは工夫次第で何とか発散・解消することもできますが、家の中に人の気配が全くないという虚無感は、どうにも解消のしようがありません。

「ペットは家族です」とよく言われますが、きっとペットではその穴を埋めることはできないでしょう。

本当の家族があった上では「ペットも家族同然」と言えるでしょうが、ペットと二人っきりでは飽くまでも「飼い主と愛玩動物」という立ち位置で、「家族」とは言えないように思います。

 

何事につけ言えることですが、無くしてから初めてその有難さがわかるものです。

歯が1本抜け落ちたら、その有難さがわかります。毛髪が薄くなったら、その有難さがわかります。

無くなってから大切にしようと思っても手遅れです。家族もそれと同じです。

「親(家族)孝行したいときには親(家族)はなし」と昔の人は言ってます。

 

これは自分に対する戒めです。

今頃になって気付いても、ただ手を合わせることしかできません。

社内バンドの2曲目は、NHK「きょうの料理」のオープニングテーマ曲?

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社内バンドもだんだん充実してメンバーも5人になりました。

キーボード担当の女性が会社にキーボードを持ち込みました。

最近アルトサックスを始めた男性社員も参加しました。

サックスは始めたばかりで、"ブ~プ~"と音を出すのがやっとの超ビギナーで、まだ楽器というより"騒音発生器"のようなものです。しかし、このバンドメンバーになりたいという意気込みは強く、これから猛特訓をするようです。

安月給の身で楽器に25万円も投資したのですから、死に物狂いで練習をすることでしょう。

 

やはり、みんな目立つメロディー楽器が好きなようで、相変わらずリズムセクションがいません。ベースもパーカッションもないので、取り敢えずタンバリンで急場凌ぎです。

ギターが3本も必要ないので、私がギターでベースを兼ねて5、6弦強めのフィンガースタイルでコードを弾くことにしました。

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 今、次の2曲目を何にするかで迷走中です。

1曲目はすんなりと決まったのに、2曲目の候補はいろいろ出るものの、なかなか決定打が出ません。

それぞれ、好みの音楽ジャンルも違うし、まだヒヨッコ・バンドなのでテクニックも追いつきません。

簡単でノリが良くて、大人も子どもも知ってる音楽で、しかも「秋の収穫祭」に相応しい音楽をとなると、そう選択肢はありません。

 

先日、メンバーの20歳代の女性がNHKの「きょうの料理」のオープニングテーマ曲に歌詞があるのをYouTubeで見つけてきました。その歌詞というのがちょっと古い。

クジラをしょうゆに漬けこんで お豆のサヤをむいて 

強火で焦げ目をつけて ミディアム・レア~♪ 

みんなで食べようクジラ みんなで食べようクジラ 

一粒残さず食べよう グリーンピース♪

 

まるで、クジラ肉のCMソングみたいです。

調べてみたところ、NHKの「きょうの料理」が始まったのは1957年11月、今から60年以上前です。

確かに、牛肉や豚肉があまりない時代でしたから、その当時は小学校の給食にも「鯨の大和煮」というのがよく出てました。

カレーも鯨肉、ステーキも鯨肉、肉といえば鯨肉だったことを憶えています。今は超高級食材でなかなか口にはできませんが、当時は非常に安価な動物性タンパク質の代表選手だったのです。

 

誰もが1度は耳にしたことのあるこのテーマ曲は、なんとあの大作曲家、富田勲さんの作品だったのですね。なんでも放送開始の前日に、急遽テーマ曲を作ろうという話が持ち上がり、3~4時間で富田勲さんが録音室で作ったそうです。

包丁で物を刻む音からインスピレーションを受けたたということです。そんなテンポに聞こえますね。

この曲の出だしによ~く似た曲があることも知りました。それは管弦楽曲『スウェーデン狂詩曲(ラプソディー)』の第1番です。

YouTubeで探して聞いてみたところ、確かに冒頭部分がよく似てました。

 

♪みんなで食べようクジラ♪ では子どもたちにはピンとこないでしょうから、この曲の歌詞を今風に変えたら楽しいかも知れません。

誰でも知ってるメロディーだし、ノリもよくコードも簡単だし、「秋の収穫祭」にもピッタリかもです。

 

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雇用契約の更新をしないことを決めたのに、まだ通勤しています。

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以前、このブログにも書きましたが、9月いっぱいで辞めることを8月の初めに、会社に伝えました。でも、今日10月1日、恥ずかしながらまだ会社に通っています。

消費税は上がりましたが、私の生活は変わりません。

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 私が会社に辞めることを伝えてからすぐに、デザイナーの求人活動を会社が始めたのですが、未だに一人の応募もありません。

数年前はデザイナーやDTPオペレーターを募集すると、2週間もすれば経験者を含め7~8人の応募がありました。正に選択肢いっぱいの買い手市場だったのですが、今は全く逆です。2ヶ月経った今まで一人の応募もありません。ハローワークからの問い合わせの電話すら1本もありません。

世の中、確かに求人難、人手不足なのだということを痛感しました。私の後釜なんて、すぐに見つかるものと思っていた私の考えは非常に甘かったようです。

 

そんなわけで・・・

この年齢もうすぐ73歳)で私もまだ会社勤めを続ける羽目になりました。

フリーだった時から今まで、10年以上お世話になった会社なので、私がやっている定期ものの仕事をほっぽり出して、何が何でもと辞めるわけにもいきません。

それに、「そうですか、それじゃ辞めてください」とあっさり辞意を承諾されるよりも、「もう少しだけ何とか頑張ってもらえませんか」と会社に請われるほうが確かに気分はいいものです。

ただ、会社には私の我が儘を聞いてもらって、午前10時出社のフレックス制にしていただきました。

 

今日が、その1日目だったのですが、出社時間が1時間遅くなるだけで、かなり快適になりました。

起床時間が30分ほど遅くなり、朝のワイドショーで「今日のワンコ」をゆっくり見ながら朝食を摂れます。

通勤途中の街角の人影もまばらになって、歩きスマホの邪魔な若者たちもいません。途中、安くて美味しくてヘルシーな弁当屋さんに立ち寄って、ゆっくりゆっくり歩いて通勤できます。いつも歩いてる街の風景も違って見えます。

わずか1時間の出社時間の差がこれほど有意義だったとは、これは実際に経験してみないと絶対にわからないことです。

朝に弱い私にとっては特にありがたいことです。

 

会社の中には、「年寄りは早く辞めさせて、若い人を採用したほうが…」と考えている社員もきっと少なからずいると思うので、若くて元気なデザイナーが見つかれば、すぐに辞めるつもりです。

その時が早く来てほしいような、来てほしくないような複雑な気持ちではありますが・・・。

来年の4月には新卒が入ってくる予定なので、遅くともその新人教育が終わる頃にはきっとのんびりできることでしょう。

妻をなくして2ヶ月目、緩和ケア病棟の看護師さんから手紙をいただきました。

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妻の「終の棲み家」となった緩和ケア病棟で、妻の担当だった看護師さんから心温まる手紙が昨日届きました。

今まで、妻はいくつかの病院に何度も入院してきましたが、退院後に担当看護師さんから手紙を受け取ったのは初めてなので、ちょっと驚きました。

そこには、女性らしい優しい字で病院での私の妻の思い出話や、妻に先立たれた私に対する気遣いの言葉があり、読みながら涙腺も思いっきり緩みました。

一昨日の社長からの料理本や、担当看護師さんからの突然の手紙…こんな心温まるサプライズって本当に嬉しいものです。自分はひとりじゃないんだ。こんな老いぼれでも気にかけてくれている人が何人かはいてくれるんだと、胸を熱くして思い知りました。

 

 

妻がいなくなった病室のベッドに疲れきって座り込んでいた私に「これからは体力勝負ですよ!がんばって!」と、担当看護師さんに叱責されました。

その言葉通りに悲しむ間もなく、寝る間もなく慌ただしく終えた葬儀。その後もたくさんの煩雑な後始末や、会社勤めをしながら料理、洗濯、掃除、ゴミ出しなどの家事をしてきた、結構忙しかった2ヶ月間です。なのに、この間が非常に長く感じたのです。

まだ、あれから僅か2ヶ月しか経っていないのに、妻を失ったことが、不思議なほどに遠い遠い昔の出来事だったような気がするのです。

私は決して積極的に忘れようとはしていないのですが、そこには無意識のうちに、辛い、悲しい想い出は早く記憶から消し去りたいという人間の本能が潜んでいるのかも知れません。

 

6年間近く、3つの病院で入退院を繰り返した妻の闘病に付き合い、救急車のお世話になったこともありました。病室に泊まり込み、病院から会社に通勤する日々もありました。そんな大変だったことは少しずつ記憶から消えかけています。でも、妻と暮らした38年間の想い出が今以上に薄れることは、きっとないことでしょう。

 

入院した日に「ストレス発散法は夫への八つ当たり」と妻が言っていたということが手紙に書かれていました。冗談だったのでしょうが、確かにわがままや不平不満を私によく言っていました。それが私には結構ストレスだったのですけどね。

 

今日、手紙をいただいた看護師さんに、思いの全てを伝えることはできませんでしたが、久しぶりに下手な字で返事を書きました。

 

社長の奥さんから料理本のプレゼント!サプライズに感激しました。

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今日、予期せぬ嬉しいプレゼントをいただきました。

それは、私が勤める会社の社長からでした。『基本の和食』『和洋中おいしい基本』という2冊の料理初心者のための料理マニュアル(レシピ)本でした。

 

社長の奥さんが使っていた本で、私が最近一人暮らしになって料理を始めたという話を社長にしたので、社長の奥さんからプレゼントしていただいた本でした。

そのお二人の優しい気持ちがとても嬉しくて、家に帰って早速目を通してみました。野菜の切り方、だしの取り方、火加減、水加減、料理用語など、料理の基本から説明されている、正に「料理の入門書」と言える本でした。これは、どちらも料理ビギナーには使える最適な本です。

筑前煮や、肉じゃが、きんぴら、味噌汁、豚肉の生姜焼きなど、私の大好きな和食の料理のレシピが写真とともに簡単に紹介されています。

料理のレシピは、あまり詳しすぎると面倒くさそうで作る気が萎えてしまいます。まあ、目分量で大まかに作り方がわかればいいというのがベストです。プロの料理人になるわけではないし、私の場合、他人に食べさせるわけでもないので。

 

これから、一品ずつこの本を見ながら作っていけば、手先が器用で凝り性の私は、プロの料理人(板前さん)になるのも夢ではないような気がしてきました。でも、この年齢からでは手遅れでしょうね。

 

冷蔵庫の中に食材が常に豊富にストックされているわけではありませんが、有り合わせの材料で工夫しながら、新しい料理にどんどんチャレンジしていきたいと思っています。料理に一番大切なことは「工夫」ではないかと最近思うようになりました。

 

どんな高価な物より、今この時の私の心の隙間をそっと埋めてくれた、こんなプレゼントって本当に嬉しいものです。社長と奥さんに心から感謝です。

 

話は逸れますが、私の嫌いな料理用語がひとつだけあります。それは「あら熱を取る」という言葉です。「少し冷ます」でいいのではないかと思うのですが・・・。

「少し冷ます」のほうがわかりやすくないですか。「あら熱を取る」の「あら=粗・荒?」ってどの程度なのでしょう。「あら熱」って料理以外には使いませんよね。誰が作った言葉か知りませんが、私にはどうも馴染めません。

一人になって、気が付けばブツブツと独り言を言ってます。

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先日、妻に先立たれて変わったことをいくつか書きましたが、最近もうひとつ気が付きました。

それは、無意識に「独り言」を言ってることが増えました。

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 一人暮らしになると3連休の場合、3日間誰とも口をきくことがありません。

この年齢になると、特に親しい友人もいませんし、兄姉も80歳を超えていますので、特別な用がない限り電話をすることも、かかってくることもありません。ひとり息子も家庭を持っているので、ご機嫌伺いの電話なんかしてきません。たま~にメールが来るだけです。

ですから、連休の間は全く会話がありません。コンビニやスーパーに買い物に行っても店員さんと話す話題もありません。

実際、昨日と今日の2日間、全く人との会話はありません。多分、明日もないでしょう。

 

でも、家の中で無意識のうちに独り言を言っていることに気付きました。

妻の写真に向かって言葉をかけることは、しょっちゅうですが、部屋の掃除をしながら、料理をつくりながらでも何かブツブツと自分に言い聞かせるように呟いています。「多分これでいいよね」「ここはこうすればいいか?」「それはダメだよ」などと、自問自答しているのです。もし、誰かに覗き見されていたら、「このオッサン、ここ大丈夫か? 認知症じゃねえのか?」と思われることでしょうね。

 

今は、まだ平日は会社勤めをしているので、会社では若い同僚たちと仕事やプライベートなことなど、色んな話をしています。

バンドの練習も楽しんでいます。

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でも、仕事を辞めたら何日も人と会話をすることもなく、毎日独り言だけの暮らしになるのでしょうね。

私は、比較的「孤独=ひとり」には強いほうですが、これが何ヶ月も何年も続くと、果たして耐えることができるのかどうか疑問です。

しかし今の世の中、一人暮らしの高齢者は腐る(早く腐ってしまえばいい)ほどいるわけですから、慣れてしまえば孤独に耐えることも意外と簡単にできるのかなとも思っています。

 

テレビで「ポツンと一軒家?」という番組をたまに見ますが、本当にな~んにもない奥深い山中の一軒家に、一人っきりで自給自足の暮らしをしている高齢者がいます。

そんな山奥の高齢者に比べれば、ちょっと歩けばコンビニも、居酒屋やバーなども近くにあるので、どうしても他人と話しをしたくなったら外に出かけ、ちょっとバーなどに立ち寄れば会話をすることもできるわけです。

 

でも、人付き合いや、話をすることがあまり好きではない私は、家に引きこもって、本を読んだり、映画を見たり、ギターを弾いたりしながら、独り言をブツブツ言ってることでしょう。

天井を見上げ、安物のウィスキーを舐めつつ、「孤独っていいな~」とやせ我慢しながら、涙腺を緩めて暮らしていくことになるのだろうと思います。

そして、人知れず、ひっそりと旅立つことになるのでしょう。病院や医者、健診も大嫌いなので・・・。

特殊清掃人にお世話になる可能性が大きいようです。その節はよろしくです。

妻が子どもに注いだ愛情の深さ、強さを再認識しました。

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明日は一般ゴミの収集日なので、今日もせっせと押入の中の不要品の片付けをしました。

そこで、私が初めて目にする「驚き」を見つけました。

それは、子どもの思い出の品をひとまとめにした押入の中のプラ製の衣装ケースでした。その中には母子手帳から、出産した産婦人科医院からもらった子どもの臍(へそ)の尾、名前が書かれたリストバンド、出生直後の手形、血液型鑑定書まで様々でした。昔のことなので、写真やDVDなどはありません。

さらにケースの中の探索をすすめると、お宮参りの時のよだれかけや帽子、子どもの出生日当日の新聞。

さらには、幼稚園に入ってからの誕生日ごとの手形や先生からのメッセージカード、先生と妻との「やりとりノート」、先生からの手紙、制服や帽子など。

さらに、小学校6年間の全ての通知票、先生との連絡ノート、使っていた筆箱や文房具、算盤、リコーダー、ハーモニカ、筆、クレヨン、色々な作品、卒業文集・・・などなど。

中学校と高校の6年間全ての通知票や名札、襟章のバッジ、生徒手帳、卒業証書。塾の先生との連絡帳や成績表など。

子どもが生を受けてから高校を卒業するまでの全ての記録が、そのケースには妻の愛とともに溢れるほどに詰まっていました。

正に、子どもの18年間の成長の記録を納めたタイムカプセルです。

 

中には見たことのあるものもいくつかありましたが、妻と暮らした38年間で私が目にしたことがないものがほとんどでした。

妻が子どもに注いだ愛情の深さを改めて思い知らされました。男親には、とてもできないことです。父親がすることは、せいぜい写真を撮っておくことくらいです。

我が家は、ひとり息子だったので、特に子どもに対する思い入れも深かったのでしょうが、ここまでするか? こんなものまで? と呆れながらも、それがとても嬉しくて、懐かしくて、切なくて涙しました。

そんな妻のかけがえのない宝物を一つひとつチェックしながら、残しておくもの、捨てるものを選別しました。できることなら全て残しておきたかったのですが、いずれはこの家も引っ越さなければなりません。泣く泣く一部は捨て、一部は子どもに送ることにしました。これも妻には極秘です。

 

今日は、不要品の片付けをしながら、母親の我が子に対する愛情の深さと強さを再認識しました。男親には理解し難い、分身とも言える母と子のつながりをそこに見ました。

実際にお腹を痛めて出産する母親と、生殖本能だけの父親の子どもに対する愛情の深さの差を、この歳になってまざまざと痛感させられました。

妻に「ありがとう」と心の中で手を合わせました。

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妻に先立たれて変わったこと。

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妻に先立たれて52日ほどが経過しました。

今、私の生活に会話がなくなったこと、男料理をするようになったこと以外にも、以前と変わったことがいくつかあることに気付きました。

 

妻がなくなってから本を1冊も読んでいません。

読もうという気も何故か起こりません。ネットで読みたい本を探すこともしなくなりました。

ゆっくり本でも読もうかという心の整理と、気持ちのゆとりがまだ充分に回復していないからだろうと思います。

あれほど、寝る前に読む本がないことが寂しかったのに、今は電気を消して寝る前の数十分間、ボーッといろんなことを考えています。妻との思い出や、明日しないといけないこと、会社はどうしよう、住まいはどうしよう・・・などなど。

 

今まで嫌いだった人混みのスーパーに、それほど嫌悪感なく行けるようになりました。

私は今まで、祭や花火大会、初詣、各種イベント、バーゲンセール、コンサート、スポーツ観戦など、とにかく大勢の人が集まる中に行くことが苦手で極力避けていました。大勢の人間を見ていると気分が悪くなることが度々あったからです。これは一種の精神的な病かも知れませんが。

そんなわけで、スーパーやデパートに買い物に行くこともあまり好きではありませんでした。妻が元気な頃は近所のスーパーには妻がひとりで買い物に行っていて、私は、ほとんど付き合いませんでした。

ところが、最近は必要にせまられたせいもありますが、人混みのスーパーでの買い物にも少しずつ慣れてきました。

今日もイオンに行って食料品を買ってきましたが、恥ずかしさも嫌悪感もなくカゴを提げて買い物ができました。ただ、できるだけ滞在期間を短くするために買い物リストを書いて行き、目的の品だけを買ったらサッと帰ります。今でも、私にとっては、長い時間滞在していたい場所ではありません。

 

何故か、以前よりも「きれい好き」になりました。

専業主婦だった妻が元気な頃は掃除はすべて任せていて、私はたまに自分の部屋に掃除機をかける程度でした。

でも、自分が全ての部屋を掃除しなくてはいけないようになって、今までは全く気付かなかった汚い所が気になって仕方なくなりました。

普通は高齢の男が一人暮らしになると、「男やもめにウジがわく」と昔から言われているように、「ゴミ屋敷化」していくのが普通なのでしょうが、私の場合は全く逆です。

妻が今まであまり掃除をしていなかったせいかも知れませんが・・・。

仕事が休みの日は、何時間もかけて掃除をしています。部屋はもちろん、トイレも風呂もキッチンも全てピッカピカに磨いています。おかげで、家の中は妻がいた頃よりもかなりきれいになっています。

また、家の中に不要な物(ゴミ)が山ほどあったことに気付きました。そこで、押入や収納スペースを整理して週に2回のゴミ出し日には、大のゴミ袋いっぱいにして1~2袋捨てています。中には、妻がいたら捨てると激怒されるような物もたくさんありますが、妻には内緒でコッソリ思い切って捨てることにしました。

不要な物(ゴミ)は、まだまだ沢山ありますので、これからも整理して捨てていく予定です。

ひとりになったら、できる限り身の回りは身軽に、シンプルにしておかなければなりません。

できるだけ、特殊清掃人の手を煩わせないように。

今日、社内バンドの初練習でストレス解消できました。

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突然湧き出たように始めた社内バンド。

会社に持ち込まれたギターも3本に増え、今日、初めての音合わせを会社の放課後にしました。曲は、先日紹介したとおり、ジョン・デンバーの ♪ Country Road ♪ です。

72歳の私と、プラス2人は20歳代後半の若者の男女です。不思議な取り合わせでしょう?

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今日は、オリジナルのカントリー風にするか、「耳をすまして」バージョンにするかが大体決まりました。

キーコードはGで、イントロは「耳をすまして」バージョンのスローな ♪カントリ~ロ~ド このみ~ち~♪ で始まり、後はジョン・デンバーのカントリー風に日本語の歌詞を乗っけるという日米ミックス・スタイルです。

秋の収穫祭のステージには日本語バージョンが良いだろうという皆の意見でした。

でも、まだギター3本だけで、ベースとパーカッションのリズムセクションがいません。ボーカルもいません。

来週からはキーボードが参加する予定ですが、こちらも初心者なので、単音のメロディーパート予定です。

ドラムは急には用意できないので、タンバリンで代用?。でも、ベースは欠かせません。ベースってあまり目立った役割ではないように見えますが、正に「縁の下の力持ち」で、ベースがあると音に締まりが出てくるから不思議です。料理で言えば、味をグーンと引き締める「秘伝の隠し味」みたいなものです。

これから、何とかベースを調達しないといけません。

 

今日は、会社の放課後の休憩室で年甲斐もなく3人のギターバンドで盛り上がりました。私がメロディーを弾き、若い二人がストロークとアルペジオでリズムを刻んで、何とか合わせることができました。

リズムパートのギターの音に耳を集中し、一所懸命に合わせて弾くことがもの凄くストレス解消になることに改めて気付きました。その間、仕事のことも、妻のことも、今晩の食事のことも、これから先のことも一切合切すべて忘れていました。これほど、他のすべてを忘れることができるものを私は知りません。

1時間くらいの初練習でしたが、ひっそりと一人でソロ弾きしている時よりも数倍楽しめました。楽器を持ち寄って演奏することは数十年ぶりでしたが、遥か昔のバカをやってた青春時代に戻ることができたひと時でした。

付き合ってくれた若いお二人さんに心底から感謝です。

 

楽器の演奏はメンタルヘルスに素晴らしい効果があるようです。だから時代を超えて様々なジャンルの音楽や新しい楽器が次々に生まれてきたのだと思います。

これは医学の進歩と似たようなものではないかと考えます。様々な新病・難病・疫病が発見され、発生する度に、それを治療する医療法が一部の偉い研究者によって発明されます。

私たちのメンタルも時代の変化とともにストレスやプレッシャーによって複雑に病んできます。それを癒し、治すために様々な新しい音楽が一部の天才的なミュージシャンによって生み出されてきているのではと・・・。そして、その時代に最も治療効果に優れた音楽が大ヒットするのではないでしょうか?

それは、モーツアルトだったり、バッハだったり、ビートルズや、ロック、ジャズ、ボサノバだったり・・・。

これからも、その時代の病んだメンタルを治癒するための最新・最適な音楽(治療法)が生まれてくることでしょう。

 

今夜は、何も考えずにゆっくり眠れそうです。

若い同僚社員からの「社内バンド結成!」の発案で元気づけられました。

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私が72歳で嘱託勤務している今の会社で、バンドを作ろうという話が持ち上がっています。

多分、火付け役は私だと思います。私が長年ギターをやっているのは皆が知っています。

以前から、社内報にも何度がそいう話題を投稿してきました。「音楽ができたらいいですね」と言う何人かの若者に楽器をやろうよと、そそのかしてきました。

そうしたら、最近、私の息子や娘世代の20代から30代の若い社員たちが急にギターやサックス、キーボードを買って練習を始めたというではありませんか。

私が言い出したわけではありませんが、「それじゃ、この際、社内バンドを作ろうか」という話がトントン拍子に進み、今日、私は初めてギターを会社に持ち込みました。

徒歩15分ほどの通勤路を日傘をさし、ギターを提げて真夏日の中を一所懸命に汗をかきながら歩きました。

こんな話になると、私もまんざら嫌いなほうではないので、年甲斐もなく俄然力が湧いてきます。

 

取り敢えず、最初の演奏曲はジョン・デンバーの ♪ Country Road ♪ と決まりました。これは、最近キーボードを買ったた女性が最初に練習を始めた曲だったので、自然の成り行きでそう決まりました。

コード進行も簡単ですし、乗りの良いリズムとメロディーなので、皆で音を合わせる最初の曲としては最適な曲だと思います。

 

さらに、さらに話はすすみ、当社の顧客である、とあるJAの「秋の収穫祭」のステージに立とうという話にまで発展しました。そのイベントは11月の23・24日なので残すは2ヶ月余りです。

最近、楽器を始めたばかりの初心者がほとんどなので、果たして実現できるのかどうか不安はいっぱいです。何しろ、今のところ、楽器は私が今日持ち込んだギターが1本だけです。

勿論、まだ一度もみなが集まって練習したことはありません。一応、楽譜だけはプリントして参加希望者全員に渡し、家で練習するように言っています。

まだ、オリジナルのジョン・デンバーのカントリー風にやるか、スタジオ・ジブリの「耳をすませば」風にソフトな日本語歌詞バージョンでやるかすら決まっていません。勿論、それぞれのパートもまだ未定です。

 

私も、20代の頃はエレキバンドをはじめ、2~3のバンドでギターを弾いてきましたが、この歳になって、またバンド演奏をやろうとは夢の夢にも思っていませんでした。しかも、バンド仲間は私の子どもか、それ以下の年齢の若者たちばかりです。

 

社内で皆が集まって練習をする時間は本当に限られています。実は、社長の了解もまだ得ていません。

多分、満足できるバンドにすることは難しいでしょうが、私は、この社内バンドを1曲だけでも、何とか他人に聞かせられる程度までにできればと考えています。

これは、きっと妻をなくした私へ、元気付けのための、若い同僚たちからの素晴らしいサプライズ・プレゼントではないかとも思っています。

若い同僚たちにとっても、これが何とか成功すれば彼らの大きな自信に繋がるのではと考えています。

 

「72歳のジジイに?」と俄には信じられないような話でしょうが、これはホントの夢のような話なのです。私にとっても正に「夢=Incredible」なのです。

恐らく、こんな年齢編成のバンドは全国にも少ないでしょうね。

Eastman AR-403CE 憧れの美しいギターを手に入れました。

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久々にギターの紹介です。

容姿が美しく、長年恋いこがれていた念願のギターをやっと手に入れました。

妻をなくした寂しさを紛らすために、妻には内緒でちょっとだけムダ遣いです。

 

アメリカのEastman Stringsというヴァイオリンやチェロなどの弦楽器専門メーカーが作っているギターです。

フルホロウボディーのアーチトップで、ピックアップ1個のJAZZギターです。

色は「アンティーク・レッド」という赤っぽいラッカー仕上げで、とても美しいギターです。

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新品だと13万~15万円で販売されていますが、勿論、私が購入したのは中古品です。純正ハードケース付きで、8万円でちょっとお釣りがくるくらいの価格でした。

半ば年金生活の貧乏高齢者なので、とても新品は買えません。

 

中古ながら非常にコンディションが良く、ほとんどキズもなく、フレットの減りやネックの反りも全くない新品同様のギターでした。これは大当たりでした!

製造が昨年の1月ですから、まだ新しいギターで、それほど酷使されてもないようです。

 

このギターの特徴のひとつは、ヴァイオリンメーカーならではの容姿端麗さと、仕上げの良さです。

製造年代によってテールピースが金属製のものや、ピックガード、ブリッジ、テールピース、フィンガーボードがローズウッド製のものなど、同じ型番でも何種類かあるようです。

私が入手したものは、これらの木製パーツが全てエボニー(黒檀)です。一般的にローズウッドよりもエボニーのほうが硬くて高級材とされていますので、私の好みにピッタリでした。

高級感があり、赤いボディーを引き締めてハッキリとした顔立ちになっています。

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ボディーは全てメイプルの合板ですが、ただ既製の合板をプレスするのではなく、薄い板をプレスしてから張り合わせていくという、Eastman社独特の工法で作られているそうです。

ニトロセルロースラッカー仕上げは光沢が美しいのですが、ウレタン塗装よりも強度が弱くて傷つきやすいので、取扱いと手入れは慎重にしないといけません。

 

スケール(弦長)は約63.5cm、ナット幅は約4.4cm、ボディーの厚さは6.5cmとJAZZギターにしては薄めです。ピックアップはハムバッカーが1個だけです。

ボディーの横幅は結構大きくて、普通のHCには入りません。

集合住宅住まいなので、アンプを通しては弾けませんが、生音は、音量は普通のアコギ程度ですが、柔らかくて澄んだ、なかなか良い生鳴りです。もう少し低音が鳴ると言うことないのですが。アンプに繋げばもっとJAZZYな音になるでしょう。

 

何と言っても、このギターの一番の特徴は、その弾きやすさでしょうか。

重量は2.6kgと、やや重いのですが、薄めのボディーで抱えやすく、何故か非常に弦を押さえやすいのです。

今までにたくさんのギターと出会ってきましたが、このフィンガーボードは弦が押さえやすく、とても弾きやすくできています。

軽くセーハーした音もきれいに出るし、ミスが少なくなって私の下手な演奏でも上手に聞こえます。

弾きやすいギターって本当にあるんだなと再認識しました。

 

以前、このブログで紹介したIbanezのJAZZギターは手放したので、今はエレガットとアコギを含め、3本のギターを使っています。

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JAZZギターは、多分これが最後の購入になるでしょう。

LandscapeというメーカーのJAZZギターも欲しいのですが、これは35万円から50万円もするので、とても手が出ません。

宝くじが当たったら買う予定です。

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