この虚無感は、ストレスのように発散・解消することはできません。
どんなに気の合う相手でも、人間が二人で生活を共にすると、そこには必ずストレスが生まれます。
相手に遠慮したり、気を遣ったり、我慢したり、たまには意見の食い違いから口論になることもあります。
それは、血を分けた肉親でも、仲の良い友人や熱烈恋愛のカップルでも、当然 性格や考え方、生活志向が違うのですから仕方ありません。多かれ少なかれ必ず摩擦(ストレス)は生じます。
トイレに行きたくなった時に、同居人がたまたまトイレを使っていただけでもストレスになります。自分は空腹なのに、相手が「今は食べたくないから食事はもっと遅くしよう」と言われてもストレスです。
しかし、一人暮らしになるとそんなことが全くなくなります。遠慮も気遣いも我慢もなく、自分のしたい放題、やりたい放題です。いつトイレに行き、いつ食事をし、いつ風呂に入ろうと、文句を言うひとは誰もいません。何から何まで自分の好き勝手にできます。そこには自由がいっぱいです。
一人暮らしになると、少なくとも家の中でのストレスは大幅に減ります。
そんな自由気ままな一人暮らしができたらいいだろうな~と、妻がいた頃は度々思っていました。
独身生活に一種の憧れも持っていました。
ところが、実際にそうなってみると、全く緊張感もなく、毎日が何か虚しく満たされない気持ちなのです。そんなやりきれなさを、特に休日に強く感じます。
妻が入院中の一人暮らしも長かったのですが、電話をすれば話もできたし、病院に行けば顔を見ることもできました。でも、今はどちらも叶いません。
ストレスは大幅ダウンになりましたが、逆に虚無感は大幅アップになりました。
どちらがいいかと言うと、程々のストレスはあっても同居人がいるほうが良いのかなと思います。
ストレスは工夫次第で何とか発散・解消することもできますが、家の中に人の気配が全くないという虚無感は、どうにも解消のしようがありません。
「ペットは家族です」とよく言われますが、きっとペットではその穴を埋めることはできないでしょう。
本当の家族があった上では「ペットも家族同然」と言えるでしょうが、ペットと二人っきりでは飽くまでも「飼い主と愛玩動物」という立ち位置で、「家族」とは言えないように思います。
何事につけ言えることですが、無くしてから初めてその有難さがわかるものです。
歯が1本抜け落ちたら、その有難さがわかります。毛髪が薄くなったら、その有難さがわかります。
無くなってから大切にしようと思っても手遅れです。家族もそれと同じです。
「親(家族)孝行したいときには親(家族)はなし」と昔の人は言ってます。
これは自分に対する戒めです。
今頃になって気付いても、ただ手を合わせることしかできません。