「下手の横好き」ばかりの中途半端な人生でした。
私は、下手の横好きながらギターが大好きなので、ほぼ毎日練習しています。ギターを手にしない日はまずありません。
「下手の横好き」の意味をネットで調べてみると「下手なくせに、その物事が好きで熱心であること」と書かれていました。
まさにその通りで、熱心に練習をよくする割にはなかなか上達しません。これは、やはり私の才能が中途半端だということの証のようです。
私は、ある物事を好きになるということは、その物事に才能があるということだと思っているので、全く才能がないというわけでもないのです。
しかし、その才能が如何せん中途半端なのです。
少しは他の人より上手にできるけど、ある程度のレベルまで行くと壁にブチ当たり、それ以上は上達しません。
それに反して、天賦の才能がある人はそれほど練習や努力をしなくてもどんどん上達します。そして、壁を楽々と乗り越え、さらにはプロの域にまで達します。
これは芸術や学問、スポーツ、芸能など、何の世界でも言えることで、天性の才能がないといくら人一倍努力してもその壁を乗り越えることはできません。
努力に優る天才はいます。
昔は「努力に優る天才なし」なんて言われ、頑張れば天才にも勝てると尻を叩かれていましたが、これは全くの嘘ですね。
才能のない凡人は、いくら努力をしても絶対に天才には敵いません。
もし、私がイチローの10倍練習に励んでも、きっと彼の足元にも及ばないでしょう。夜も眠らずに勉強をしても東大入学なんて遠い夢物語でしょう。
子どもの頃から、同級生の中であまり勉強もしてないのに成績が良いヤツとか、体育の時間に練習をしなくてもすぐに逆上がりができたり、軽々と高い跳び箱を跳べたり、前転ができる憎たらしいヤツがいました。
私は、運動音痴だったので、いくら練習しても逆上がりも跳び箱も水泳も全然ダメでした。
でも、絵を描くことだけは得意で、よく友人に「絵を習いに行ってるのか」と言われました。勿論、昔のことなので習ってはいませんし、特に練習もしないのに同級生よりも上手に描くことができて、よく賞をいただいていました。
それで、高校生の頃から将来はグラフィックデザイナーになろうと決めていました。
そして、それほど本格的にデザインの教育を受けたわけではありませんが、なんとなくその道に入ることができて現在に至っています。
ところが、生業としているこのデザインの才能もギターと同じで中途半端だったようです。経験は40年以上になり、この仕事で家族を養い今まで食べてきたので一応「プロ」といってもいいのでしょうが、私は未だに三流の域を脱することができていないと思っています。どんな分野のプロでも一流から三流までいます。
ただ、物真似をしながら運良く何とか今までこの仕事で食べてこれたといった感じです。
デザインの世界で良く言われていることがあります。それは、本当に創造性の高い一流のデザイナーはほんの一握りで、その他大勢のデザイナーはその物真似、パクり合いだということです。
私も、その他大勢の中の一人です。
絵もギターも人より少しだけは上手だったけど、残念ながら一流になれるほどの才能は持ち合わせて来なかったようです。
デザインの仕事もギターも結局「下手の横好き」で終わりそうです。中途半端な才能のままで中途半端な人生の終焉を迎えることでしょう
今度生まれ変わるときには、何でもいいから一流になれる才能を持って生まれてきたいものです。