妻の遺影は、35年も前に私が撮った写真。
喪中ハガキを出していた方のうち、2組の方がわざわざお参りに来てくれた。
今、妻の祭壇の回りは花とお菓子で、久しぶりに賑わっている。
久方ぶりに逢う方々だったので、妻もきっと喜んだことだろう。
何とも嬉しい限りだ。
実は、祭壇には妻が32~3歳頃の若い写真を遺影として飾っている。
生活を共にするようになったのは妻が31歳、私が35歳の時だから、
まだ新婚アツアツの湯気が立っている頃だ。
妻とは20歳代の頃からの知り合いだが、私が一番きれいだったと思う頃の写真である。
私がカメラに凝っていた当時に撮って、大きく引き伸ばしておいたお気に入りの1枚だ。
妻が亡くなる少し前から、その写真を飾りたいと密かに用意していた。
35年も昔の写真を遺影として飾るのは、詐欺だと言われそうな気もしたが、
毎日眺めるには、まだ恋心が冷めてなかった頃の写真が一番良いと思った。
当然のことながら、恋心がいつまでも続くわけもなく、
40歳を過ぎる頃から、些細なことでいがみ合って喧嘩をすることも増えた。
38年間の夫婦生活の間には、離婚の危機も少なからずあった。
何とか私の忍耐のおかげ?で持ちこたえることができたが。
そんなわけで、妻が歳を取ってからの写真は毎日見たくはない。
喧嘩をした時のイヤな想い出や、妻に許しを請わねばならないことが蘇ってくるだけだ。
遺影に使用する写真は、何年前のものまで許されるかを調べてみると、
女性の場合で最長20年くらい前までと書かれていた。
妻の遺影は35年も前のものである。これは許されないことか。やはり詐欺か?
でも、一番きれいで、まだ相愛だった頃の写真を飾ってやるのが、妻にとってもきっと嬉しいことなのではと私は思った。
毎日向き合い、朝晩、写真に向かって語りかけるわけだから、
重力に負け、経年劣化した老け顔の写真よりも、イキイキとした若い頃の顔がよい。
仲良く、楽しかった若かりしあの頃に戻ったように錯覚できる。
遺された家族にとって、良い想い出が最も多かった頃の写真が遺影に向いているのでは。最近撮ったものが必ずしも良いというわけではないと私は思う。
遺影は、葬儀以外では他人に見せるために飾るわけでもないし。
私も若~い頃の写真を遺影として使うように、息子に託そうと考えている。
この記事が記念すべき私の100回目の投稿です。おめでとう!!
でも、約1年間で100回は少なすぎかな?