自由葬(無宗教葬)のすすめ。葬儀費用と時間の節約に

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私の父は「無宗教主義者」というほどではないけど、全くの無宗教人間でした。ですから、親の代から一周忌、三回忌法要などの宗教儀式は全くありません。

「生きている人間が死んだ人間に煩わされることはない」と常々言っていた父親だったので、私も私の兄姉たちも皆が無宗教人間です。

よく「お宅は何宗?、宗派は?」と訊ねられることがありましたが、今でも答えることができません。「特に決まった宗派はありません」と言ってその場を濁しておりました。

 

そんなわけで・・・、

妻の葬儀は自由葬(無宗教葬)で執り行いました。

私の実家とは違い、妻の実家は代々の浄土宗なので、妻の姉たちには、「妻の葬儀は無宗教でしますので、お寺さんは呼びません。普通の葬儀とはちょっと様子が違うことになりますが、よろしいでしょうか?」と予め伺いを立てました。

妻の姉たちは「あなたが喪主だから、別に構いませんよ」と心良くかどうか真意はわかりませんが、承諾してくれました。内心は、それじゃ妹(私の妻)が浮かばれないと思っていたのかも知れません。

 

葬儀社の担当者との事前打ち合わせで自由葬(無宗教葬)でお願いしますと伝えると、特に驚いた様子もなく淡々と準備をすすめてくれました。後で訊いたところによると、「最近は結構多いですよ」という返事が返ってきました。

一応、祭壇や線香、焼香など、宗教色がないところ意外は普通の葬儀と変わりません。焼香は仏教儀式なのではと思うのですが、最後の焼香だけは会葬者が順番でしました。

火葬場でも焼香がありましたので、仏教儀式ではないのかも知れません。

 

僧侶の読経がないので通夜、告別式などのセレモニーらしきものはほとんどありません。ただ、家族ときょうだいが斎場に集まり、1泊していっしょに語りあいながら食事(お斎など)をして、お別れ会をします。

出棺の時だけは司会者が付き、棺の中に妻の愛用品や花、メッセージカードなどを入れたり、百合の葉で妻が好きだったジュースを順番で口に含ませたりといった一通りの葬儀の決めごとはありました。

 

僧侶の読経なんて雰囲気づくりの舞台演出みたいなものです。

意味など全くわからない羅列した漢字を音読みするだけのお経を上げてもらっても、私はありがた味など何も感じません。これを1時間近くもじっと座って聞かされるのは、正に苦痛でしかありません。棺の中の故人もきっと苦痛なのではないかと思います。

僧侶の顔は、「どうだ、いい声だろう」と自慢げに見えます。

僧侶が来ないので当然、戒名とかお位牌もありません。

これも私は必要ないと考えています。死後に名前を変える意味がどこにあるのか、全く理解できません。今まで呼び慣れた名前で故人を偲ぶことこそ大切だと思います。

戒名や位牌も、お寺が考えた金儲けの手段なのでは?と疑ってしまいます。

こんなことを言うと、「仏が浮かばれないぞ、成仏できないぞ」と思う人たちもいるのでしょうが、お釈迦様やキリストが生まれる前の無宗教の時代に亡くなった人はみな地獄に落ちて、浮かばれなかったということになります。

 

私自身も、喪主としての無宗教葬儀は今回が初めての経験でした。シンプルでしたが、充分別れを惜しむことができた和やかなお別れ会になりました。

お布施や戒名料などが必要ありませんので、お寺さんの費用(ン十万円?)と時間も節約できました。

葬儀のお布施の全国平均は、44万6千円、戒名料はランクによって5万円から50万円以上ということです。戒名にランクがあるというのも、おかしな話です。

 

妻は今、新たに購入したミニ祭壇(我が家では敢えて「仏壇」とは言いません)の中に写真になって納まっています。横に位牌はありません。

 

私が死んだ時はもっとシンプルに、無宗教の直葬でやってくれと息子に伝えています。

私の兄(83歳)姉(80歳)も、シンプルな自由葬を望んでいます。

当然ながら、死んだ人間に生きてる人間が煩わされる面倒な法要も我が家には一切ありません。