HOHNER Super Chromonica 270を自分にプレゼント!
今年も1年間、妻の看病に仕事にと、老い衰えた心身にビシバシと鞭を入れて頑張った。
「馬車馬のように」は、ちょっと古いかな?
そのご褒美に、お歳暮とクリスマスプレゼントを兼ねてプレゼントを自分に送った。
自分で買わないと、息子殿からも、誰からもプレゼントはない。
我がことながら、寂し〜い老後を送っている。
今年の自分へのクリスマスプレゼントはハーモニカだ。
ネット通販で購入し、今日無事に届いた。
普通のハーモニカとは違って、半音も出せるクロマチック・ハーモニカというもので、
12穴48音の Super Chromonica 270というクロマチック・ハーモニカの定番商品である。
ドイツのHOHNERという楽器メーカーの製品で、ハーモニカとアコーデオンで特に有名なメーカーだ。
ハーモニカと言えば、ドイツのHOHNERと日本のスズキ、トンボが世界的に有名なようだ。
ハーモニカなんて中学校の音楽の授業で吹いたきりで、その後、手にした記憶はない。
楽器というよりも教育玩具としてのイメージが強かったのだが、
YouTubeでプロの演奏を見ると、小さいながらも立派な楽器だ。
半音を駆使してジャズでもクラシックでも、何でも演奏できる。
素朴でメローな音色も、なかなか私好みである。
中学生の時には結構上手なほうだったので、簡単に吹けるだろうと甘く見ていた。
しかし吹いてみると、私が知ってるハーモニカとはちょっと演奏法が違う。
長さ14cmほどで、12ホールなのに3オクターブの音を出すことができる。
これに半音が加わると全部で48音になる。
1つのホールで吹く+吸う+それぞれの♯の音と、4つの音を出せるようになっている。
右側のレバーを押すと♯の音になる。
慣れるまで、ちょっとばかり練習が必要なようだ。
それでも、半音のない簡単な曲は何とか吹くことができた。
管楽器に比べると、簡単で手軽に遊べる楽器ではある。
音量もそれほど大きくないので、集合住宅でも弱く吹けばなんとか練習できる。
やはり、楽器は楽(ラク)で楽しくないといけない。
ギターと同じで、これも「下手の横好き」になるのはわかっているが、何故か楽器が好きなのだ。
ギター3本にハーモニカが仲間入りした。
これからはハーモニカが増殖するかも。
まあ、独り暮らしのジジイには、趣味はひとつでも多いに越したことはない。
暇つぶしの楽しみがひとつ増えた。
担当医や執刀医に謝礼金を渡す必要はない。
私のブログの今までの100記事の中で、アクセス数が多いのは「担当医師への謝礼金のことで妻と口論しました」という下の記事である。
Google で43%、Yahoo検索で37%と、ダントツ1位で圧倒的に多い。
この記事を投稿した今年の2月以降、常に1位の座にある。
こんな記事に関心が集まるということは、入院や手術をした際に、担当医や執刀医に謝礼金を渡すかどうかで悩んでいる方が多いという証だろう。
ひょっとすると、受け取るかどうかで迷っている医療関係者も見ているかも知れない。
謝礼金を渡すかどうかは、確かに悩ましい問題だと思う。
医療従事者が謝礼金の有無で患者の扱いが変わるとは思いたくはない。
しかし他の患者はみんな渡してるのに、自分だけ渡してなかったら、
治療がいい加減になるのではないかと不安になるのも人情だ。
特にガンなど、重篤になる危険性の高い病気の場合は、患者とその家族は藁にもすがりたい思いなのだ。
このお金で助けてもらえるのならと、誰しも思うだろう。
私の妻の場合、4回の手術をした大学病院では、担当医、執刀医全員が少額ながら受け取った。
転院した民間の医療機関(がん診療拠点病院)では担当医師と、親切な理学療法士に渡そうとしたが、受け取りを頑に断られた。
妻のためにと思って、かなり押し問答をしたが、最後まで受け取ることはなかった。
巷の噂では、大学病院の医師は躊躇なく受け取る医師が多いらしい。
中には、教授クラスは10万円、講師クラスは5万円と大体の相場が決まっている大学病院もあると聞く。
噂話なので、これが現実かどうかは知らないが、大学病院では医師への謝礼金は半ば常識になっているのかも知れない。
私の感覚では、民間病院の医師は受け取り、大学病院の医師は受け取らないのではと思っていたが、現実は全く逆だった。
民間病院のほうが教育が徹底されているようだ。
医師への謝礼金は全く必要ないと私は思っている。
職業人として当然の仕事をして、一般人よりも遥かに高い給料をもらっているのだ。
「珍しい病気を診させていただき、おかげでいい勉強になりました」と、
逆に医師から謝礼金をいただきたいくらいだ。
大学病院では実験用マウスみたいに研究・実験の材料にもされているのだ。
謝礼金の多寡で執刀に差をつける医師は、絶対に一人もいないと信じたい。
身入りがいいから医師になったという人は多いだろうが、
患者の身体にメスを入れる際に、手を抜こうと考える医師はまず100%いないと思う。
もし、そんな医師がいたら死刑だ!
妻の遺影は、35年も前に私が撮った写真。
喪中ハガキを出していた方のうち、2組の方がわざわざお参りに来てくれた。
今、妻の祭壇の回りは花とお菓子で、久しぶりに賑わっている。
久方ぶりに逢う方々だったので、妻もきっと喜んだことだろう。
何とも嬉しい限りだ。
実は、祭壇には妻が32~3歳頃の若い写真を遺影として飾っている。
生活を共にするようになったのは妻が31歳、私が35歳の時だから、
まだ新婚アツアツの湯気が立っている頃だ。
妻とは20歳代の頃からの知り合いだが、私が一番きれいだったと思う頃の写真である。
私がカメラに凝っていた当時に撮って、大きく引き伸ばしておいたお気に入りの1枚だ。
妻が亡くなる少し前から、その写真を飾りたいと密かに用意していた。
35年も昔の写真を遺影として飾るのは、詐欺だと言われそうな気もしたが、
毎日眺めるには、まだ恋心が冷めてなかった頃の写真が一番良いと思った。
当然のことながら、恋心がいつまでも続くわけもなく、
40歳を過ぎる頃から、些細なことでいがみ合って喧嘩をすることも増えた。
38年間の夫婦生活の間には、離婚の危機も少なからずあった。
何とか私の忍耐のおかげ?で持ちこたえることができたが。
そんなわけで、妻が歳を取ってからの写真は毎日見たくはない。
喧嘩をした時のイヤな想い出や、妻に許しを請わねばならないことが蘇ってくるだけだ。
遺影に使用する写真は、何年前のものまで許されるかを調べてみると、
女性の場合で最長20年くらい前までと書かれていた。
妻の遺影は35年も前のものである。これは許されないことか。やはり詐欺か?
でも、一番きれいで、まだ相愛だった頃の写真を飾ってやるのが、妻にとってもきっと嬉しいことなのではと私は思った。
毎日向き合い、朝晩、写真に向かって語りかけるわけだから、
重力に負け、経年劣化した老け顔の写真よりも、イキイキとした若い頃の顔がよい。
仲良く、楽しかった若かりしあの頃に戻ったように錯覚できる。
遺された家族にとって、良い想い出が最も多かった頃の写真が遺影に向いているのでは。最近撮ったものが必ずしも良いというわけではないと私は思う。
遺影は、葬儀以外では他人に見せるために飾るわけでもないし。
私も若~い頃の写真を遺影として使うように、息子に託そうと考えている。
この記事が記念すべき私の100回目の投稿です。おめでとう!!
でも、約1年間で100回は少なすぎかな?
運転免許証の自主返納と「運転経歴証明書」の申請に行ってきた。
思い立ったが吉日。早速、会社の昼休みを利用して免許の返納に行ってきた。
私が一番嫌いなタイプの人間が集まっているであろう警察なんて、できれば行きたくはない。
だが、運転経歴証明書をもらうためには仕方がない。
警察署に行くのは免許証の住所変更の時と、今回で2度目だ。
それ以外でやっかいになったことはない。(ホントです)
会社の近くにある大きな警察署に入り、受付で「交通課はどこですか?」と訊ねると、
案の定、人相の悪いオヤジが上から目線の態度で無愛想に「何の用ですか?」と言う。
昔の警察官のように「何の用かね?」とは、さすがに言わない。
言葉遣いだけは丁寧だ。
「免許の返納です」と答えると3番の窓口に行けと言う。
その窓口係は優しそうな中年の女性警察官だったので、ひとまずホッとした。
別に、すねにキズは持ってないが、警察官というのはみんなが威張っているように見えて好きになれない。
私にとっては、できれば接触したくない人種だ。
手続きは簡単で、2種類の書類に住所や生年月日、名前を書き、
1,100円の証紙(手数料)を買って提出するだけだ。
忘れてならないのは、運転経歴証明書に貼る顔写真(2.4×3cm)。
免許更新時みたいに警察が写真を撮ってくれるわけではないので、自分で用意する。
自撮りして、家のプリンターでプリントした写真だったが、すんなり通った。
それから待たされること約15分。その間、何もすることがないので署内の警察官たちをウォッチングした。
ボーッと椅子に座ってるのや、ペチャクチャ喋ってるの、菓子かパンかをモグモグ食べてるのなど、いかにも暇を持て余してる様子だ。
交通課に配属されて事務処理をしている警察官なんて、大した仕事もないのだろう。
とっくに、出世も手柄も諦めたような高齢の警察官がばかりだ。
椅子に座って時間を潰していれば、給料もボーナスも退職金ももらえる羨ましいお勤めだ。
そんなことを考えながらボンヤリ警察官たちを眺めていたら、名前を呼ばれた。
窓口に行くと、発行までに2週間ほどかかるので、また後日受け取りに来いということだ。
免許更新時のように、その場ですぐにいただけるものと思っていたので、ちょっとがっかり。
もう、こんなとこ二度と来たくないと思ったが、駄々をこねても仕方がない。
免許証は穴を開けて返してくれる。「これは今日から身分証明書としては使えません」と念を押される。
公安委員会発行の「運転免許の取消通知書」というA4サイズの書類もくれる。
何の役にも立たない、ただの紙くずである。
公務員は、とかく 許可証だの通知書だのという紙切れを渡すのがお好きなようだ。
穴の開いた免許証は、記念にとっておくことにしよう。
5年前の髪のボリュームのある、ちょっと若い私の顔写真が見れる。
苦渋の決断!運転免許証を自主返納します。
運転免許証の更新をするかどうか、数ヶ月迷ったが、
免許証を自主返納することに腹を決めた。
ゴールド免許なので、遠くの運転免許試験場まで行かなくても、
近くの「ゴールド免許センター」で簡単に更新手続きができる。
しかし、ちょっと運転にも自信がなくなってきた。
40数年間運転をしてきた(違反・事故数回)が、車を手放してここ4年間ほど全くハンドルを握っていない。
70歳以上の免許更新には、最寄りの自動車学校に行って実技講習を受ける必要がある。
まっすぐ前進だけならOKだが、クランクや車庫入れなど、とても自信がない。
自動車学校の教習車のサイドミラーをぶっ壊すのがオチだ。
最近は高齢者によるブレーキとアクセルの踏み間違いや、逆走による怖~い事故が多発している。
昔の高齢者は免許を持っていなかったが、今の高齢者はみんなが運転をする。
高齢者の事故は、これからますます増えることだろう。
運転免許も定年制度を設ける必要があるのではと思う。
つい最近も、80歳代の男性が高速道路を逆走して正面衝突で亡くなった。
ニュースになるほどの大事故以外にも、高齢者の事故はかなり多いのではと思われる。
自損事故や、自分が死ぬだけの事故なら「アッ!やっちまった」と、まだ諦めもつくが、他人を巻き込むと大変だ。
この年齢になって人様の恨みをかったり、交通刑務所送りになったりは避けたい。
そのためには、運転免許証は自主返納して「運転経歴証明書」をもらうのが賢明だと判断した。
なかなか賢い判断であると・・・自画自賛。
証明書に貼る写真は持参しないといけないので、
今日、自撮りで写真を撮り、インクジェットプリンターでプリントした。
後は、近くの警察署に返納と同時に申請するだけ。
この「運転経歴証明書」は、有効期限もなく、生涯にわたって公的な本人確認証としての機能がある。
パスポートなんてシャレた物は持ってないので、顔写真付きの本人確認証として「運転経歴証明書」は必要だ。
住民票や戸籍謄本を取る際にも必ず提示を求められる。
私は知らなかったが、運転経歴証明書の交付年月日の横の6桁の数字の後の
ハイフン以下の数字で返納までの過去の経歴がわかるらしい。
「1」は優良運転者、「2」は一般運転者、「3」は違反運転者ということだそうだ。
誰しも、できれば「1」の優良運転者の証明書がもらいたいだろう。
生涯付きまとうわけだし、「法を遵守する常識的な人間である」という証明でもある。
少なくとも、「違反運転者」というレッテルを貼られた本人確認証は持ちたくない。
「運転経歴証明書」は、安全運転に心がけ、ゴールド免許証になってからもらうべし。
「バカは風邪をひかない」は本当らしい。
寒さが厳しくなって、私が勤めている会社では急に風邪ひきが増えた。
インフルエンザもひとりいた。
みんなが30歳代の若い人たちで、マスクをかけてコンコンコンと苦しそうに咳をしている。
しかし、社内最高齢の私はマスクもしてないのに、何故か風邪がうつらない。
気は弱い、頭も弱いが、免疫力だけは強そうだ。
風邪にも嫌われたのか、寄りついてこない。
昔から「バカは風邪をひかない」ということわざをよく聞く。
そのことわざの根拠については、いくつかの説があるようだ。
バカな人間は心配ごとや気苦労がないから、概して身体が丈夫であるという説がある。
つまり、ストレスは免疫機能を低下させるので、ストレスが溜まると風邪をひきやすくなる。
しかし、バカは呑気であまり物事に頓着しない。バカ=ストレスを感じない。
だから風邪をひきにくいということらしい。
また、バカは鈍感なので、風邪をひいても症状を自覚しない、気づかないという説。
知能の低い人間は体の反応が鈍いので、病原体に対する反応が生じにくいという説。
他にも、よく風邪をひく人間が風邪をひかない人間に対して妬み、羨んで
「バカは風邪をひかんでいいね」と言い始めたという説もある。
いろいろな説があるが、愚鈍でストレスをあまり感じず、
ストレスを受け流すことが得意な人間は免疫力が高いので、風邪をひきにくい。
逆に、神経質でストレスに弱く、ストレスを溜め込む人間は免疫機能が低下し、
風邪をひきやすいという説が医学的根拠もあり、説得力がありそうだ。
ということは、風邪をひかない私は、愚鈍でストレスを感じないタイプの人間なのだろうか。
自身では決してそういうタイプではなく、薄いガラスのように脆い神経の持ち主だと思っていたが・・・。
案外、歳を重ねて鈍感なタイプの人間になったのかも知れない。
少々バカでも、風邪はひかないに越したことはない。
風邪をひいて寝込むと、独り暮らしは大変だ。
食事を用意してくれる人も、薬を買ってきてくれる人もいない。
熱を出したら、何も食べずにひとりで布団の中で唸っていないといけない。
自然治癒してくれればよいが、
そのうち、肺炎になってひっそりと孤独死して、
特殊清掃人のお世話になるという可能性も大〜いにある。
バカ、阿呆、愚鈍、鈍感、うつけ・・・何と言われようが、
独り暮らしの高齢者は、バカに徹して風邪をひかないようにご用心。
やはり、人生は予定通りにはいかないものだ。
愛子様の誕生日の次の日、今日12月2日は私の73回目の誕生日。
こんなに長生きする予定ではなかったのだが、古稀を3年も越えてしまったぞ。
若い頃は70歳まで生きられたら、充分と思っていた。
それがどうしたことか、73歳になっても未だしぶとく仕事をしながら生きている。
予定は大幅に狂ってしまったようだ。もはや軌道修正はできない。
「どうにでもなるようになれ!」と開き直って、これから先、ひとりで生きていくほかない。
煮るなり焼くなり好きにしてくれ!【今週のお題】
この年齢になると、積極的に生きていたいとは全然思わない。
ただ、死なないから、面白くもない毎日を何となく惰性で生きているだけだ。
死神が迎えに来る前にアポをとってくれると助かるのだが。
こいつがいい加減なヤツで、いつ来てくれるものやら、とんとわからん。
迎えに来ないわけはないのだが、なんの連絡もしてこない。
ホントに人様のことを全く考えない身勝手なヤツだ。
だから、人生の予定もこんなに狂ってしまうのだ。
そうだ!お前のせいだ。
勿体ぶらずに早く教えてくれ!
教えてくれたら、もっとイキイキと有意義に、残りの時間を過ごせそうな気がするのだ。
それが来年でも、10年先でも。
それ以上になると、ちょっと根負けして萎れてしてしまいそう。
話は変わるが・・・。
独り暮らしなので、家族からは当然何もないが、会社では2つも誕生日プレゼントをいただいた。
プレゼントをいただくのは勿論嬉しいのだが、それ以上に、自分の誕生日を憶えていてくれる人が、この世にいたというのが実に有難い。
「この歳になったら誕生日なんかめでたくもないわ」と言う年寄りは多いけど、それは口先だけ。
いくつになっても、誰か「ハッピーバースデイ」と言ってくれないかなと、心の奥できっと待っているはず。
おじいちゃん、おばあちゃんの誕生日には、「誕生日おめでとう」と言ってあげよう。
きっと何かいいことあるよ。
「人生会議」啓蒙のポスター、果たして大金をかけて作る必要があったのかな?
最近、馬面のお笑いタレントを使った「人生会議」啓蒙ポスターが話題になっている。
このポスターに対してがん患者団体が抗議をし、厚労省も配布を中止したらしい。
私的感想としては、タレントのわざとらしい表情の写真、心電図の波形を配したデザイン、弱視者には読みにくい文字の色など、あまりいただけない。
コピーも無駄に長すぎる。
ユニバーサルデザインの観点から見れば、失敗作のポスターだ。
しかし、配布を中止するほどのことはないのではと思った。
このポスターのデザインやコピーが、直接がん患者に繋がるとも思えない。
どちらかというと交通事故とか脳梗塞、心筋梗塞を連想させる。
ただ、「人生会議をしよう」という難しい課題のPRポスターにしてはオチャラケが過ぎたのではないだろうか。
馬面タレントを起用する必要はかったのでは。
ちょっと、やり過ぎの感は否めない。
「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない。」のコピーは、なかなか良いと思う。
これは身内に先立たれた経験をした人でないとわからないが、その瞬間まで「死」を考えないし、考えたくもない。意識がなくなっても、そのままいつまでも生き続けると思う。
だから、命の危機が迫ったそのときに、治療法や死後のことをあれこれ話すことはできない。
まして、「あなたが死んだ後はどうするの?」と問い詰めることなど、とてもできない。
治療も全て病院の言うがままだ。患者本人の意思など全く反映されない。
また、死の数日前から「せん妄」という症状が現れる。幻覚や妄想、精神障害、意識障害など、認知症に似たような症状だ。
私の妻も、亡くなる数日前から「そこにいたおばさん誰?」とか「そこにいた男の人どこに行った?」などと、気持ち悪いことを私に訊ねた。
妻にしか見えない幻覚(霊?)が見えていたようだ。
この「せん妄」は、死の恐怖を紛らすための人間の本能だという説もある。
日頃から「もしものとき」の話し合いである「人生会議」は絶対に必要だと思う。
元気なうちにだったら、「がんになっても抗がん剤や放射線治療はしないよ。葬儀は花いっぱいにしてね。骨は適当にバラまいておいて」などと冗談半分に言える。
身内に対しても「もし、がんになったら治療はどうする? 死んだ後はどうしてほしい?」と、面白おかしく気軽に訊ねることができる。
重病になった後では訊くことは難しい。
このポスター、税金を4,000万円もムダ遣いして配布中止にしたそうだが、SNSなどでこれだけ話題になって拡散し、それなりのPR効果はあったのではないかな。
病院などに掲示するよりも、所期の目的を果たすことができたのかも知れない。
4,000万円は広告代理店と吉本興業のボッタクリだろうが、
最初からこうなることを見越して、話題性を狙ったのなら、これを手がけたディレクターは見上げたものだ。
でも、そもそもこんな問題を大金をかけて啓蒙する必要もないと思うのだが・・・。
厚労省にとって何かメリットがあるのだろうか?
役人の発想はとかく貧困ではある。予算が余ったのだろう。
あなたも「人生会議」はしておきましょう。日頃から、元気なうちに。
4ヶ月目、妻の月命日をすっかり忘れてしまっていた。
今日は、妻の4回目の月命日だったのだが、完全に頭から消えていた。
先月までは、月命日には花やお菓子を少し買ってきて供えていたのだが。
さっき、会社から帰って夕食を食べ終わった後に、ふと今日が妻の月命日であることを思い出した。
何も買ってこなかったので、冷蔵庫にあった貰い物の柿を供え、線香をあげて手を合わせた。
妻が亡くなって、まだ4ヶ月しか経っていないのに月命日を忘れるとは、少しずつ記憶が薄れかけている証拠か。
それとも私の頭が少しずつボケかけているせいか?
どんなに辛いことも、悲しいことも時間が癒してくれるというが、全くその通りである。
「いつまでも悲しんでなくていいんだよ」と優しく癒し、慰めてくれるのは時間だけである。
他に慰めてくれる人は誰もいない。ハエトリグモもいつの間にかいなくなった。
命日にお参りするというのは、仏教儀式なので、無宗教の私には関係ないと言えば関係ないのだが。
それでも、小さな祭壇(仏壇ではない)の中に鎮座している妻の若い頃の写真に毎朝お茶を供え、線香はあげている。
これは、私の朝のルーティーンになっているので、1日も欠かすことなく続けている。
「お父さん、な〜んにもしなかったあんたにしては、なかなか感心な心がけだよ」と妻は褒めてくれているかも知れない。
それとも、「いつもお茶だけ?たまには何か美味しいものないの?」と苦々しく思っているかも。
さらに、写真に向かって朝は「行ってきま~す」、帰宅した時は「ただいま~」と小声を出して言っている。隣近所に聞こえないように。
「行ってらっしゃ~い」「お帰り~」が聞こえないのは寂しいが、これも私のルーティーンになっている。
いつもやってることをしないのは、何となく気がかりになるものだ。多分、私が仕事を辞めるまでは続けることだろう。
今日のとこは、このブログにきれいな花の写真をアップ(お供え)することで勘弁してもらおう。
「冷たい旦那だね」と思わないでくれ、来月は絶対忘れないようにするから。
と言っても、保証はできかねる。
高齢者がのさばっている町に住んでます。
週に1度、休みの日にはスーパーに食料品の買い物に行く。
以前は、カゴを提げて食料品をあれこれ見繕いながら買い物をするのが少し気恥ずかしかったが、最近は馴れてきたようで、恥ずかしさも全くなくなった。
売り場では私以外にも、ひとりで買い物をしている高齢の男性が結構目に付く。
寂しそうな雰囲気を漂わせている人もいれば、楽しそうに品物を物色している人もいる。
彼らも私と同じように、嫁さんに先立たれたのかな~と、同類意識を持って眺めている。
50~60歳代だったら単身赴任ということもあるだろうが、70歳代以上に見える高齢者は、離婚組か、伴侶に先立たれかのどちらかだろう。
ちょっと訊ねてみたい気もするが、「余計なお世話」と言われそうなので、声をかける勇気はない。
何を買っているのか、カゴの中身をチラ見する程度にとどめている。
最近、スーパーに行って感じることだが、とにかく女も男も高齢の客が多い。
特にばあさんが目立つ。ばあさんのほうが長生きするから当然ばあさんが多いのだ。
レジのパートのおばさんたちも結構高齢に見える。
フロアー清掃に頑張っている女性も、おばあちゃんと言っていいくらいの年齢だ。
日本は高齢化が進んでいるのだなと、改めて実感させられる。
特に私が住んでいる市は、政令指定都市の中で高齢化率が最も高くて、65歳以上の高齢者が30%を超えてしまった。
つまり、赤ちゃん・子どもも含めて、3.3人に1人は65歳以上ということ。
どこに行っても目に付くのはジジ、ババばかり。私もその中のひとりなのだが。
私が住んでいる地域には大学が4つあって、比較的学生が多い町なのだが、それでも高齢者の数には敵わない。
町を歩いていても、学生よりダンゼン高齢者のほうがのさばっている。
以前は、コンビニは若者が利用する店というイメージがあったが、最近はコンビニでも高齢者が若者を圧倒して多い。
増殖するゾンビのように、町にジジ・ババがゾロゾロと増え続けている。
これでは、若者が将来に不安を抱えるのは当然だなと思う。かわいそう。
ごめんなさい。もっと小さくなって生きていきます。
このブログを「だ・である調」で書くことにした理由。
前回の投稿から、「です・ます調」をやめ、「だ・である調」に変えた。
それは、このブログは私の「独り言」「呟き」であるということが最大の理由だ。
映画や漫画の世界以外では「です・ます調」で独り言を言う人はあまりいないと思う。
「あっ、あれ忘れてた」とは言うが、「あっ、あれ忘れてました」とは言わない。
つまり、読者も増えないものだから、このブログは人様に読んでもらうのではなく、「ただの独り言ですよ!お気になさらず」と、ふて腐れて開き直ったわけだ。
「です・ます調」は敬体、その反対語の「だ・である調」は常体と言うそうだが、敬体は優しくて柔らかい雰囲気になるし、常体は断定的で引き締まった雰囲気になる。
ちょっと偉そうぶってる感じには聞こえるが。
でも、常体のほうがちょっとエッセイ風な雰囲気にはなる。
説得力もアップするような気がする。
私は、よく小説を読むが、敬体で書かれた小説にはお目にかかったことがない。
しかし絵本や童話など、子ども向けの本はほとんどが敬体で書かれている。
やはり、お子様には優しく、柔らかくということなのだろう。
他の方のブログを見ていると「です・ます調」で書いてる方と「だ・である調」で書いてる方は、ほぼ半々くらいのように見受けられる。
どちらに親しみや、読みやすさを感じるかと言えば、その差は私にはほとんどない。
読んでもらえるブログは文体ではなく、やはり内容が重要なのだと思う。
私が読者にしているある女性(醤油団子さん)のブログは「だ・である調」で書かれているが、絶妙のユーモアセンスとテンポでつい最後まで楽しく読まされてしまう。
どちらかと言うと、団子は醤油よりもあんこが好きなのだが、軽妙でウィットに富んだこの方のブログは私の大好物のひとつである。
そんなわけで、このブログをこれからは「だ・である調」で書くことにしました。
と・・、以前の癖がちょっと出てしまう。
若さを保つ秘訣は、精神年齢をいつまでも低く保つこと。
私は、若い頃から若く見られ、今まで年齢相応に見られたことがほとんどない。
30歳代の前半に仕事の都合で飛行機を利用することが多かったのだが、必ずと言っていいほどカウンターで「スカイメイト(青少年割引運賃)ですか?」と訊ねられた。
20~25歳くらいに見られたということである。
36歳で子どもができて、スーパーなどで子どもを抱いていると「若いお父さんだね」とおばさんからよく声をかけられた。当時としては、36歳で初めての子どもができるのは遅い部類に入ると思っていたのだが。
仕事で初対面の人に会うと、私の方が年上にもかかわらず、年下の人間から年下に見られる。
若い頃は、若く見られることで相当損をしたと思っている。俗な言葉で言うと「ナメられる」「いい加減にあしらわれる」のである。
体のサイズは標準のMサイズがピッタリの体型で、特に小柄というわけでもない。なのに、今までずっと、いつも年齢相応に見てもらえなかった。
これは、男としては損をするケースが圧倒的に多い。特に仕事上では例外なく損をすると思っている。
だから、「若く見られる」ということは常に私の劣等感のトップに位置した。
歳を取れば、年齢相応に見られようになるだろうと期待をしていたが、これは年齢を重ねても同じであった。
妻がガンの闘病中だった頃、手術や治療の度に、何度も同意書に署名させられたが、2度も妻の息子に間違われた。
信じ難いような話だが、これはホントの話。
医師や看護師が「上はご本人が、下は息子さんが署名してください」と、訝る様子もなく言う。
私は、妻よりも4歳上なのに、息子に勘違いされたらしい。「はてな?」と不思議に思いながらも、だまって署名をした。
妻は、内心ひどく傷ついていたのではと思うが、そのことについては特に何も言ったことはなかった。妻を気遣って、私も敢えてその話題には触れないようにしてきた。
女は男よりも老けるのが早いし、オマケに、妻は病気でげっそりと痩せ、顎の骨も切り取っていたので、年齢よりもかなり老けて見えていたのは確かだ。
それにしても、妻の弟に間違われるのは納得できるが、息子に間違われたのには我ながら呆れた。
若い頃は若く見えることで損ばかりしてきて、イヤでイヤで仕方なかったが、この年齢(もうすぐ73歳)になると少しは得なこともあるようだ。
まだ、仕事も続けてほしいと会社から請われるし、若い人から「バンドをやりましょう」と声もかかる。
若作りのオシャレも楽しめる。
損なことは、満員電車で席を譲ってもらえないことだけだ。
ただ、優先シートには70歳から座る権利があるというルールを自分で勝手に作ったので、優先シートが空いていたら堂々と座ることにしている。
端がどう思おうと、私は70歳過ぎの紛れもない高齢者なのだ。足腰は弱っている。
若く見られる理由について自分なりに考えてみたところ、やや童顔のせいもあるが、私は同年齢の人と比べるとかなり精神年齢が低いように思う。つまり、脳の造りが幼稚にできているのではないかと自覚している。
良く言えば、いつまでも「少年らしさ、純真さ」を失っていないジジイとも言えるが。
要するに、「バカは歳を取らない」の典型なのではないかと・・・。
★このブログは、私の独り言、呟きなので、今日から「です、ます調」はやめることにした。このほうが書きやすい。
「天皇って何?」と訊かれても、私は答えられません。
昨日のテレビは天皇の即位パレード一色だったようです。私は全く興味はないので、ライブ中継は見ませんでしたが、ニュースはどこもかしこも、こればっかり。
どうやって数えたのか知りませんが、何でも11万9千人もの大衆が沿道に詰めかけたというから驚きです。
なぜ、わざわざ人混みの中に行って、あんなものが見たいのか私にはとても理解できません。8,000万円の立派な車に乗って、ただ素通りするだけです。
この即位に関する様々な行事の費用総額は、166億円と言われています。
ところで、天皇って何なのでしょうか? いくら考えてもよくわかりません。
特別な力があって国民を助けてくれるわけでもないし、楽しませてくれるわけでもありません。
天皇がいなくても国の運営が滞ることはないし、別に誰も困ることはありません。
憲法の冒頭には「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれていますが、「象徴」というのが曖昧で漠然として、よくわかりません。
「象徴」は英語に訳すと“Symbol”です。シンボルとは会社や学校で言えば、社章や校章です。だったら、日本の象徴は「日の丸」でいいのではと思うのですが。
初代天皇は神武天皇ですが、この人は日向国(宮崎県)の豪族で、戦を続けながら東に進み大和国(奈良県)に大和政権を作って日本統一をしました。
その後、「日本書紀」や「古事記」が神武天皇は天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫だと脚色し?、だんだん「神がかり」的なものになってきたようです。
今でも行われている「大嘗祭」という宮中行事は、天照大神に感謝して五穀豊穣を祈念する宗教行事です。
大嘗宮(儀式のためだけの仮神殿)などの建築など、大嘗祭に要する総費用は27億円です。
その他にも、「新嘗祭」など、宮中でのこのような宗教行事はいろいろとあるようです。
天皇は、おそらく当時は新興宗教の教祖的存在だったのではと思います。その126代目の子孫が昨日オープンカーに乗って手を振っていた方です。(直系ではないという説もありますが)
調べてみると、ますます天皇が何なのかわからなくなります。度重なる戦でたくさんの人命を奪ってきた宮崎県出身の強い豪族の子孫。はたまた、(神道)宗教の教祖みたいなもの?
戦時中は天皇を「現人神(あらひとがみ)」として崇め、天皇のためには命も惜しまずと国民は洗脳されてきました。まさに神がかりの教祖様に仕立て上げられました。
戦後、アメリカ占領軍は天皇制を廃止しようとしましたが、日本人は天皇をシンボルとして一体化しやすい国民なので、天皇を置いていたほうが統治しやすいという意見が多く、天皇を「象徴」として残しました。
本当にその通り、一体になってます。私のようなひねくれ者を除いて。
憲法の原案をつくったGHQの英文では“The Emperor shall be the symbol of the state”と書かれています。これは、「天皇は国の象徴であるべきだ」という意味です。つまり、天皇制は残してやるけど、その存在は単なる象徴(空/無)であるべきだよとしたわけです。
それにしても、よく金を喰う「象徴」です。
手抜き & 代用「豚肉ジャガもどき」結構おいしくできました。
今夜は何を食べようかと、冷蔵庫を覗くとジャガ芋と豚肉があったので、今日は「肉ジャガ」ならぬ「豚ジャガ」を作ろうと思い立ちました。
ただ「肉」と言うと牛肉のことなんでしょうか。でも豚肉しかないので、今日は「豚ジャガ」です。
料理本のレシピを見ると煮ものだと思っていた「肉ジャガ」なのに、肉を炒め、さらにジャガ芋とニンジンを入れて炒めると書かれています。まあ、騙されたと思ってレシピ通りの手順にできるだけ忠実にすすめていきました。
材料は「3人分」と書かれていましたので、3人分作って、3日間同じものをレンジで温めて食べることにします。
しらたきはないので、これは省略。インゲンもないので、これはピーマンで代用。入れた野菜はジャガ芋、ニンジン、玉ねぎ、ピーマンの4種類。だし汁もないので、ただの水だけ。
味付けは、みりんや酒もないので、冷蔵庫にあった「すきやきのたれ」だけと、超シンプルに。
狭い調理台で野菜の皮をむいたり、炒めたりと、悪戦苦闘すること約30分。何とかそれらしきものができました。
日曜日の夕方は、「笑点」を見ながらの夕食が私の決まり事です。今日は、林家木久扇さんの「笑点」出演50周年記念でした。
1人分の「豚ジャガ」を皿に取り分けて、いざ食べてみると、これがなかなか旨い(自画自賛)。味は甘くもなく辛くもなく、ジャガ芋とニンジンもほどよい柔らかさです。
この「肉ジャガ」に似ている手抜き、省略、代用の「豚肉ジャガもどき」、結構おいしくできました。
必要に迫られてやっている「なんちゃって男料理」の腕前もだんだん上がってきているぞと、自信がつきました。
「すきやきのたれ」で味付けをするというのは私が考え出した裏技ではなく、ボトルのラベルに「応用いろいろ・和食応援団」というレシピが印刷されていて、実はそれをパクったのです。「すきやきのたれ」には既にみりんや鰹エキスも入っているので、みりんやだし汁を入れなくても、おいしくできたわけです。これが1本あると、なかなか便利です。
オッと、エバラの「すきやきのたれ」のCMみたいになってきた。エバラ食品からスポンサー料はもらってないので、このへんでやめておきましょう。
「肉ジャガ」という料理は、どちらかというとジャガ芋が主役で、肉は引き立て役のように思えるのですが、なぜか「ジャガ肉」とは言いません。「ブリ大根」はブリが主役なので前に来てます。
でも、確かに「ジャガ肉」や「大根ブリ」では語呂が悪いようです。
今日は「豚ジャガ」、明日もあさっても「豚ジャガ」、3日間同じ物を食べましょう。以前、このブログに書きましたが、自分で作った料理は3日続いても飽きないから不思議です。
きっと明日は、もっと美味しくなっているはずです。
秋の夜長をいっしょに過ごす可愛い女性の同居人?ができました。
独り暮らしの私ですが、実は同居人が一人(匹)できました。いつも私の机の周辺を音もなく、そろりそろりと徘徊しています。ジャンプも得意で、たまには私の膝の上にも飛んできます。まるで忍者のようです。
虫メガネでよ~く見ると、目が大きくてなんとも愛くるしい顔をしています。
その同居人は、ハエトリグモ(蝿捕蜘蛛)です。クモや虫は好きではありませんが、このハエトリグモだけはちょっと可愛くて、殺したり、追い出したりできません。
今は私のペットみたいなもので、名前は「グーモ」といいます。
行動範囲は狭いようで、なぜかPCを置いてる私の趣味の部屋にいつもいて、机の回りの壁やカーテンなどを這い回っています。
今は、机の前のカレンダーの上を忍び足で散歩しています。
同居人と言っても、エサもやらないし、何のお世話もしていません。飼育方法もわからない、手間のかからないペットです。
このハエトリグモは、益虫で、蝿やダニ、ゴキブリの幼虫などを捕って食べてくれます。でも、我が家は集合住宅の5階なので、蝿もダニもゴキブリもまったく見ません(ダニは肉眼では見えませんね)。
一体、何を食べて生きているのでしょう。たま~にコバエを見ますので、そんなものを捕って食べているのでしょうか。食べ物も、飲み物もないような環境の中でよく生きているものです。生命力は強いようです。
日本に生息しているハエトリグモは180種類と言われています。ネットで調べてみると、我が家のペットは、どうやら「アダンソンハエトリ」という種類のようです。体長は1センチ近いので、グーモちゃんは多分メスでしょう。オスはもっと小さいようです。
このクモは、他のクモと違ってクモの巣を作らないのでいいですね。クモの巣を作ったら絶対に追い出します。
英語ではJumping spider(ジャンピング・スパイダー)というカッコいい名前で呼ばれています。その名のとおり、ジャンプが得意で、たまに壁から私の膝の上にピョ~ンと飛んでくることもあります。さすがにビックリしますが、可愛いペットですから、怖いとか気持ち悪いとは思いません。そのまま好きなようにさせていると、その内にどこかに消えていきます。
ちょっと指でさわっても逃げようともしません。「あたいの飼い主の爺やは優しい人でよかったわ」と安心しきっているようです。
今はどこにも姿が見えません。ちょっと目を離すと、すぐにどこかに隠れてしまいます。そして、また別の場所からひょっこり顔を出します。まさに神出鬼没の「くノ一忍者」です。