妻が子どもに注いだ愛情の深さ、強さを再認識しました。

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明日は一般ゴミの収集日なので、今日もせっせと押入の中の不要品の片付けをしました。

そこで、私が初めて目にする「驚き」を見つけました。

それは、子どもの思い出の品をひとまとめにした押入の中のプラ製の衣装ケースでした。その中には母子手帳から、出産した産婦人科医院からもらった子どもの臍(へそ)の尾、名前が書かれたリストバンド、出生直後の手形、血液型鑑定書まで様々でした。昔のことなので、写真やDVDなどはありません。

さらにケースの中の探索をすすめると、お宮参りの時のよだれかけや帽子、子どもの出生日当日の新聞。

さらには、幼稚園に入ってからの誕生日ごとの手形や先生からのメッセージカード、先生と妻との「やりとりノート」、先生からの手紙、制服や帽子など。

さらに、小学校6年間の全ての通知票、先生との連絡ノート、使っていた筆箱や文房具、算盤、リコーダー、ハーモニカ、筆、クレヨン、色々な作品、卒業文集・・・などなど。

中学校と高校の6年間全ての通知票や名札、襟章のバッジ、生徒手帳、卒業証書。塾の先生との連絡帳や成績表など。

子どもが生を受けてから高校を卒業するまでの全ての記録が、そのケースには妻の愛とともに溢れるほどに詰まっていました。

正に、子どもの18年間の成長の記録を納めたタイムカプセルです。

 

中には見たことのあるものもいくつかありましたが、妻と暮らした38年間で私が目にしたことがないものがほとんどでした。

妻が子どもに注いだ愛情の深さを改めて思い知らされました。男親には、とてもできないことです。父親がすることは、せいぜい写真を撮っておくことくらいです。

我が家は、ひとり息子だったので、特に子どもに対する思い入れも深かったのでしょうが、ここまでするか? こんなものまで? と呆れながらも、それがとても嬉しくて、懐かしくて、切なくて涙しました。

そんな妻のかけがえのない宝物を一つひとつチェックしながら、残しておくもの、捨てるものを選別しました。できることなら全て残しておきたかったのですが、いずれはこの家も引っ越さなければなりません。泣く泣く一部は捨て、一部は子どもに送ることにしました。これも妻には極秘です。

 

今日は、不要品の片付けをしながら、母親の我が子に対する愛情の深さと強さを再認識しました。男親には理解し難い、分身とも言える母と子のつながりをそこに見ました。

実際にお腹を痛めて出産する母親と、生殖本能だけの父親の子どもに対する愛情の深さの差を、この歳になってまざまざと痛感させられました。

妻に「ありがとう」と心の中で手を合わせました。

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