秋の夜長に句読点付きの喪中ハガキをつくってみました。

f:id:ecolopy:20191031212825j:plain

「秋の日はつるべ落し」と言われますが、会社を出る頃はまだうっすらと明るいのですが、自宅に帰り着く頃はもう真っ暗です。玄関ドアを開けると部屋の中も真っ暗で、し~んと静まり返っています。

3~4ヶ月前までは家に帰ると電気がついていて、「お帰りなさい」という声が聞こえ、夕食の匂いがしていたのですが、今は何も聞こえてきません。何も匂ってきません。

真っ暗な部屋に入る時、「ああ、一人になったんだ」という実感が湧いてきます。

冷たい秋風が身にしみる季節になってきました。

 

私にとっては初めての経験ですが、今年は喪中ハガキを出さないといけません。

私は、友人との交際もほとんどないし、親戚付き合いもないので、出すのは大方がおしゃべり好きの妻が生前付き合っていた方々です。

そこで、昨晩、喪中ハガキのデータをつくりました。出すのは11月下旬から12月初めがよいそうなので、ちょっと気が早いかとも思いましたが、秋の夜長、何もすることもなくて思い立ちました。

 

既製品の喪中ハガキは、ぼんやりとした菊や蓮、桔梗などの花の絵が多くて私の好みに合いません。そこで、彩度を落とした花の写真を使って、挨拶文も横書きにして下のようなオリジナルの喪中ハガキをデザインしてみました。

f:id:ecolopy:20191031212920j:plain

迷ったのは挨拶文です。ネット上には喪中ハガキのテンプレートや文例がたくさんあるのですが、どれを見ても句読点がありません。

句読点のない文章ってちょっと違和感を感じます。

そこで、なぜ挨拶文には句読点がないのかを調べてみました。

その理由は、取るに足らない仕様もないことでした。文章に句読点を付けるようになったのは明治時代に入ってからで、子どもや、読み書きができない人にも読みやすくするためだったそうです。江戸時代までは句読点はなかったようです。

そんな訳で、挨拶状に句読点を付けるのは相手を子ども扱いにして失礼にあたるということらしいです。

でも、普通の手紙や文書には句読点を付けるのに、なぜ挨拶状と賞状にだけ句読点を付けないという大昔の慣例が残っているのでしょう。不思議です。

句読点の付いた挨拶状をもらって「無礼者め!」と怒る人はいないと思うのですが。

 

喪中ハガキに句読点を付けるかどうか迷いましたが、句読点は絶対ダメというわけでもないようなので、ひねくれ者の私は句読点を付けることにしました。

やはり句読点があったほうが読みやすいし、「、」と「。」がないと締まりがなく、何となく落ち着きません。

 

後は、インクジェット用のハガキを買ってきてプリントするだけです。