元号って必要だと思いますか?西暦だけだったら便利ですよね。

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時々、役所や会社に書類を書いて提出する際、年月日を元号で書かないといけないことがありますが、アレッ、今年は平成何年だっけ?と、ど忘れすることがありますよね。

そこで、壁のカレンダーを見ると、今年のカレンダーはどれもこれも西暦だけで元号が印刷されていません。

昨年までは「2018年」と「平成30年」がちゃんと並記されていたので、すぐにわかりましたが、今年の5月から新元号になるので今年のカレンダーには全て元号が印刷されてないのです。

 昭和の時代は簡単に計算できてました。

昭和の時代は西暦と昭和の換算は非常に楽でした。

1900台は変わらないので、昭和00年に25を足せば西暦何年かは簡単に計算できました。例えば、私が生まれた昭和21年は、25を足して1946年と即座に換算することができました。

逆に、西暦を昭和にするには25を引けばいいわけです。西暦1980年は、80から25を引いて昭和55年と、小学生でも簡単に計算ができました。

ところが、これが平成になってから西暦も2000年代になり、サッパリわからくなってしまいました。いちいち指を折りながら数えてもわかりません。

結局、ネットで「元号・西暦換算表」を開いて調べることになります。

 元号って必要なのでしょうか?

いっそ元号は無くして、全て西暦で表記していただけると計算もしやすく、世の中全てがシンプルになるのではと思っています。

例えば生年月日を書く場合も「M・T・S・H」のいずれかをマルで囲むようになっていますが、これも西暦表記になれば必要なくなります。

5月からはこれにもう一つ追加されて5つになるわけです。「M」は絶滅危惧種ながら、まだ削除するわけにはいきません。

5月に新元号に変わってからは、「昭和00年生まれです」といっても即座に年齢を計算できる人はあまりいないでしょう。えーと、昭和63年が平成元年で、平成31年が新元号元年だから・・・と、計算は非常に難しくなります。

これが公文書も含めて全て西暦だけに統一していただけると、年齢の計算も楽になるし、歴史の勉強も楽になって、私のように数字に弱い人間でも簡単に計算ができるのでしょうが。

 

明治維新直後は何もかも西洋の真似をしようとしてたので、元号をやめて西洋の暦と同じにしようという案はあったようです。

しかし西暦はキリスト教を起源とするものなので、天皇を生き神様と崇める日本には相応しくないという意見が多くて元号が残されたそうです。

今の時代、日本だけにしか通用しない元号は、もう必要ないのではないかと思います。

まあ、あっても邪魔になるものでもないし、できるだけ使わないようにすればいいのでは? 私は、「M・T・S・H」の記入欄がない場合は生年月日も西暦で書くことにしています。

 

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